人は心に自分の道を考え計る、 しかし、その歩みを導く者は主である。
人の心には多くの計画がある、 しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。
人の歩みは主によって定められる。 主はその行く道を喜ばれる。
心にはかることは人に属し、 舌の答は主から出る。
人の歩みは主によって定められる、 人はどうして自らその道を、 明らかにすることができようか。
主よ、わたしは知っています、 人の道は自身によるのではなく、 歩む人が、その歩みを 自分で決めることのできないことを。
主に向かっては知恵も悟りも、 計りごとも、なんの役にも立たない。
わたしは終りの事を初めから告げ、 まだなされない事を昔から告げて言う、 『わたしの計りごとは必ず成り、 わが目的をことごとくなし遂げる』と。
正義によって得たわずかなものは、 不義によって得た多くの宝にまさる。
「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。わたしの民の叫びがわたしに届き、わたしがその悩みを顧みるからである」。
アハジヤがヨラムを見舞に行ったことによって滅びに至ったのは神によって定められたことである。すなわち彼がそこに着いた時、ヨラムと一緒に出て、ニムシの子エヒウを迎えた。エヒウは主がアハブの家を断ち滅ぼすために油を注がれた者である。
王の心は、主の手のうちにあって、 水の流れのようだ、 主はみこころのままにこれを導かれる。